今日も日暮里富士見坂 / Nippori Fujimizaka day by day

「見えないと、もっと見たい!」日暮里富士見坂を語り継ぐ、眺望再生プロジェクト / Gone but not forgotten: Project to restore the view at Nippori Fujimizaka.

2月23日、今日は富士山の日。富士山を見よう!

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今日は富士山の日。富士山を見よう!
2月23日、今日は富士山の日。富士山を寿(ことほ)ぎ、「ちりめん本」という珍しい絵本の中から、富士山の絵を2,3見ていただこうと思う。エッ「ちりめん本」って・・・?
「日暮里富士見坂」は、上野のお山から王子まで続く尾根づたいを行き、日暮里付近で西側・谷中方面に下る坂である。長い尾根道だから坂は多い。ご近所坂は「夕焼けだんだん」「七面坂」「螢坂」「さん崎坂」など。東側に下る坂には「ご隠殿坂」「芋坂」「寛永寺坂」などがお隣の坂。
この尾根道の歴史は古い。王子方面に少し歩けば道灌山遺跡。縄文・弥生の遺跡だ。江戸時代の絵を見れば、尾根からの風光明媚をめでる人々の賑わいを確かめることが出来る。そして尾根を挟んだ東西両側(鶯谷、根岸、日暮里、谷中、田端)には、明治、大正の時代、多くの文人が住んだことも周知の事実だ。西に森鴎外、芥川龍之介、東には正岡子規、中村不折と、枚挙にいとまがない。
さて、尾根道の始まりの上野のお山は寛永寺。寺脇の坂を東側に降りると、そこは「根岸の里の詫び住まい」「鶯さえずる鶯谷」。ここに、「ちりめん本」という世にも美しい木版多色刷りの欧文絵本を海外に向けて出版していた、長谷川武次郎という人が住んでいた。明治、大正時代だ。その住まいは、かつては陸奥宗光(明治の外相)が住んだ現存の舘である。
それでは早速、長谷川武次郎の「ちりめん本」の「富士山」をご覧いただこう。
まずは、1898年(明治31年)の海外向け「ちりめん本」カタログの表紙をご紹介する。かたつむりがいる富士山がドーン。

ちりめん本影印集成 日本昔噺輯篇(勉誠出版)第 4冊より

ちりめん本影印集成 日本昔噺輯篇(勉誠出版)第 4冊より

紙が縮緬(ちりめん)布のようなシワ・シボがあるのがお分かり頂けるだろうか?これは、和紙に挿絵を木版多色刷りし、本文には欧文文字を活版印刷した後に、これを棒状の物に巻き、上から押してシワを付けて付ける。巻き直して紙の方向をずらしながら回転して押すこと10回余り。細かいシワ・シボでふわりと軽く柔らかく8割程度のサイズに縮んだちりめん布のような紙ができる。これを絹糸で和綴じして「ちりめん本」が出来上がる。シワ・シボによる光の反射効果なのか、色が映える、丈夫にもなる。なぜこのような本を作るに至ったかは不明だが、工芸品とも言える美本である。当時の外国人達は、ジャポニズム流行の背景もあって“crepe paper book”と呼んで歓迎した。まずは「桃太郎」に始まる日本昔噺20話、他にラフカディオ・ハーンの再話や、日本の詩歌類、生活・習慣紹介、小唄・歌舞伎などなど。翻訳語は日本語も入れると10ヶ国語である。豆本カレンダーなども加えると200種はあると言われる。実は、初めは日本人向けの英語教材として日本昔噺を翻訳して出版していたらしい。これを「ちりめん本」にグレードアップし、吟味した内容の日本紹介本の類も追加・拡張して、海外に販売網を作った。日本初の本格的海外向け商業出版である。挿絵の絵師や翻訳者もそうそうたる人達を採用した。「ちりめん本」解説はここまでにしておく。
さて、なぜ富士山にかたつむりか。それは時の大賢人、「日暮里富士見坂」のほぼお隣「さん崎坂」の全生庵に眠る山岡鉄舟の歌と俳句「かたつむり富士に登らば登るべし精神一統なにごとかならざらん」「かたつむり登らば登れ富士の山」に、自分の思いに込めたのではないか。「ちりめん本」出版で海外に乗り出そうとする覚悟の気持ち。あるいは、小林一茶の対照的な俳句「かたつむり そろそろ登れ 富士の山」に強いシンパシイがあったのかもしれないとも思う。

次は、96頁の大作、1889年(明治22年)出版の「Princes Splendor(かぐや姫)」のフィナーレ頁を飾る富士山。煙が立ち昇る。

放送大学附属図書館デジタルコンテンツより

放送大学附属図書館デジタルコンテンツより

放送大学附属図書館デジタルコンテンツより

放送大学附属図書館デジタルコンテンツより

“Even the memory of our one meeting floats in tears, Why then should I wish the deathless draught?”かぐや姫が月に帰ってしまい嘆き悲しんだ帝が、姫の置き土産「不老の薬」を、姫なくては意味もないと、兵に天に一番近い山で燃やすことを命じる。兵士達が大挙して天に一番近い駿河の山に登り、その命令を果たした。煙はこの時から立ち昇っており、“Fuji-no-Yama”は「不死山(The Deadless Mountain)」と呼ぶようになった。更にこの時に大挙した兵士を表現する「富士山(士に富む山)」の意味もあるし、「不二山(かぐや姫が二度と地に戻らない)」の意味もあるとの解説も付けている。翻訳したのは、「ヘボン式ローマ字」にその名が残るジェームス・カーティス・ヘボンによって開かれたヘボン塾の英語塾講師でもあった宣教師ローゼー・ミラーだが、その夫人はフェリス女子学院の創設者である。絵師は小林泳濯。

次の富士山は、ベルギー詩人エミール・ヴェルハーレンによるフランス語ポエム集「Images Japonaises.(日本の面影)」の表紙。芦ノ湖畔からの富士山だろう。ちりめん加工はしていない最上等奉書紙の横長大版本だが、長谷川武次郎出版故に「ちりめん本」の系列に入れられている。1900年(明治33年)のパリ万国博覧会に出品され金牌を受賞した本。

放送大学附属図書館デジタルコンテンツより

放送大学附属図書館デジタルコンテンツより

絵師の鈴木華邨が描いた20あまりの日本の花鳥風月・風景の挿絵をヴェルハーレンに送り、それに得たインスピレーションで書かれた5つのポエムと言われる。詩を刻む活字は活版印刷ではなく木版カリグラフィーと凝っている。挿絵の中には、室内から円窓越しに望む富士山の絵も含んでいる(ここには紹介していない)。詩人には申し訳ないが、ポエムの前後を無視してle Fousi-Yama(フジヤマ)部分をピックアップする。
Rochers et mers, bateaux et mâts,
Le parc d’Asakousa et le Fousi-Yama
(岩と海、舟とマスト、 浅草公園、そしてフジヤマ)
時の大詩人エミール・ヴェルハーレンになる金牌に輝く美本は、万博来場者にはもちろん、欧州の多くの人達に、le Fousi-Yama(フジヤマ)を強く印象付けたに違いない。
日本におけるヴェルハーレンの詩は上田敏に紹介されて、大正、昭和期の近代日本詩壇(高村光太郎、金子光晴など)に多くの影響を与えた。しかし、「Images Japonaises.(日本の面影)」はそれ以前に出版されたものであり、与謝野鉄幹は渡欧時にヴェルハーレンに面会を求めた際、本人から長谷川武次郎の本に詩を書いたと聞かされて大そう驚いたというエピソードも残る。
ところで、外国向けの日本の風景風俗写真集である「横浜写真」といわれるアルバムをご存じの方も多いだろう。以下は「横浜写真」の代表「A・ファーサリ日本写真帖」の黒地蒔絵芝山象嵌の豪華表紙である。「Images Japonaises.(日本の面影)」表紙とそっくりではないか。しかし、長谷川武次郎のちりめん本とは全く関係ない。

放送大学附属図書館デジタルコンテンツより

放送大学附属図書館デジタルコンテンツより

どちらが先に出版されたかは、私の調査では確定出来ない。所で、いわゆる「フジヤマ・ゲイシャ」の日本のイメージの原点には、案外「Images Japonaises.(日本の面影)」の表紙絵のインパクトがあったのではないかと邪推している。事実、ポエム中には、Gheishas avec samouraïs sans page(お供を連れない侍と芸者たち)の一節もあり、短いポエムの中に「le Fousi-Yama(フジヤマ)」と「Gheishas(ゲイシャ)」の二つのワードがしっかり登場している。今までは、人々の頭に別々にインプットはされていた日本の特徴的二つ「フジヤマ」と「ゲイシャ」がヴェルハーレンの権威でワンセットになり、表紙絵のインパクトでしっかり定着されてしまった。さらに、前後して多数出され続けた長谷川本を真似た絵や写真。これに大正・昭和期の政府の対外国観光戦略が便乗して煽り、「フジヤマ・ゲイシャ」が出来上がっていったものかもしれない。長谷川本「Images Japonaises.(日本の面影)」の功罪か。ほんの私的な憶測に過ぎないし、単純軽々に言えるものでもないが。因みに、大正期の「ちりめん本」カタログは、当初の富士山とかたつむりの絵ではなく、これを使ったようである。それだけ「Images Japonaises.(日本の面影)」の富士山と芸者の絵は人気で、引きが強かったのだろう。

「ちりめん本」には他にも優れた富士山の絵がある。特に、「Sword and blossom poems from the Japanese(詩集刀と桜)」3巻目にある太田道灌の詩「From my Window」の頁の富士山は紹介したいが、キリがないので今回は見送る。“東国(江戸)に下った自分のあばら家の窓からは頂上に雪輝く富士山が見える”と京の御所で天皇に返した歌という。「日暮里富士見坂」傍の「本行寺」は、太田道灌ゆかりの寺で“道灌さまの物見塚”が残り、日暮里駅前には銅像もある。(M.S.)


<参考資料>
石澤小枝子「ちりめん本のすべて 明治の欧文挿絵本」三弥井書店
中野幸一・榎本千賀「ちりめん本影印集成 日本昔噺輯篇」勉誠出版
大塚 奈奈絵「木版挿絵本のインパクト―1900 年パリ万博に出品された「寺子屋」」」日本大学大学院総合社会情報研究科紀要
村松定史「異文化交流のひとこま ヴェルハーレンと縮緬本」東京成徳大学研究紀要
大場恒明「日本におけるエミール・ヴェルハーレン : 受容史のための基礎作業的序説」国際経営論集
青木枝朗「A・ファーサリ 日本写真帖」早稲田大学図書館紀要
ポスター「Beautiful Japan」昭和5年鉄道省発行 他

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