今日も日暮里富士見坂 / Nippori Fujimizaka day by day

「見えないと、もっと見たい!」日暮里富士見坂を語り継ぐ、眺望再生プロジェクト / Gone but not forgotten: Project to restore the view at Nippori Fujimizaka.

ガード下学会の〈日暮里〉町歩き

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2016年5月28日(土)、ガード下学会の定例イベント・町歩きで西日暮里駅から田端駅を案内した。山手線内で最下位を争う不人気駅をつなぐコースを、総員8名の旅。

案内者として、この町歩きで体験してほしかったことは2つ。(1)東京の原地形を体感してもらうこと、(2)明治期における「北東アジアの中の日本」を体感してもらうこと、だった。

まず、日暮里台地によって区切られる東京東部低地と西側の高台を実感するために、崖面をのぼりおりしていただいた。途中、旧石神井川(谷田川)の谷を、これまたのぼりおり。具体的には須藤公園の崖をよじのぼって、駒込蓬莱町までの上級者向きコース。
駒込蓬莱町は、日本留学時代の周作人の習作に登場する。西片町の住居から、妻、義弟、婆やを連れて隅田川への魚釣りに行った時の「写生文」が回想録の中に残されており、その途中、蓬莱町と駒込病院を経由。そして周作人が記憶にとどめた「蓬莱」は、日本の異名である。今回の町歩きでは、1910年の周作人一行のコースを辿り、田端の高台に登ることにした。

また、周作人のほか、周恩来、孫文、宋教仁、金玉均らアジア諸国から日本にやってきた人々の足跡をたどった。また、日暮里を中心とした地域には長谷川利行の住居跡もあり、併せてこれらを訪問。北東アジアの政治的流動の中に確実に日本が存在したこと、その痕跡があちこちに残されている場所を巡った。

町歩きを終えての「まとめ会」は、田端駅南口=山手線最後の秘境での和やかな時間を過ごして締めくくった。町歩きに参加されたガード下学会の皆さま、見学(お参り)を受け入れて下さったお寺さん、そして、懇親会の会場になった「まったり~菜」様、ありがとうございました。

帰路、飲み放題のお酒を堪能した隊員1名が駅を乗り過ごし、遭難しそうになるハプニングがあったらしいが、ここでは触れない。(っていうか、触れてるし)

ガード下学会の公式日誌は、こちら。日暮里富士見坂界隈に「ゆかり」の町というキャッチフレーズをつけていただいた。ご一読ください。

富士見坂を訪れた隊員ならびに外国からのお客さん

富士見坂を訪れた隊員ならびに外国からのお客さん

永井徳子さんのお墓にお参り

永井徳子さんのお墓にお参り

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