今日も日暮里富士見坂 / Nippori Fujimizaka day by day

「見えないと、もっと見たい!」日暮里富士見坂を語り継ぐ、眺望再生プロジェクト / Gone but not forgotten: Project to restore the view at Nippori Fujimizaka.


コメントする

2018年12月19日、日暮里富士見坂のすきま富士

昨日、NHKの番組のディレクタさんと日暮里富士見坂へ。
午後、雲が出て来て、あ~駄目だなと思いながら待ち合わせ場所に向かいました。
そうしたら、魔法のように陽光が。
とっても美しいすきま富士とスーパーすきま富士が見えたのですが、
カメラのバッテリがダウン。
それでも肉眼で富士山が見えました。

残念なので、今朝、バッテリ・チャージしたカメラを持って現地へ。

くっきりと富士山が浮かび上がっていました。

2018年12月19日すきま富士

2018年12月19日すきま富士

続きを読む

広告


コメントする

2018年12月14日、日暮里富士見坂のすきま富士

寒いですね。
富士山綺麗でしたが、写真は、今一。
葉っぱが、ゆらゆら、レンズも汚いし。
(ゴミはちょっとだけ修正しておきました)

2018年12月14日すきま富士

2018年12月14日すきま富士


続きを読む


コメントする

魯迅と日暮里(61)南波登発の「亞細亞」への視線(36)栗村寛亮の脱管まで KURIMURA Kwansuke, another asylum seeker and the exiles raft for freedom

栗村寛亮から花香恭次郎への編輯長の交替は、筆禍事件によるものであった。栗村寛亮は、現存最古の『福嶋新聞』第21号(1878年3月1日、推定)から第67号(6月17日)まで編輯長代理。第68号(6月19日)は安藤房太郎がワンポイントリリーフ、6月21日の第69号からは前述の通り、佐藤清が編輯長となっている。再刊後の第144号(1879年3月1日)には「○本日より勝手に付栗村寛亮を以て本務代理爲致候」「附て白す恭次郎儀も急用にて一昨日宮城地方へ罷越候に就不在中ハ姑く該務をも栗村に攝理致させ升」とのことで、栗村寛亮が編輯長代理及印刷人となった。(註1)

社告『福嶋新聞』1879年3月1日

社告『福嶋新聞』1879年3月1日

続きを読む