今日も日暮里富士見坂 / Nippori Fujimizaka day by day

「見えないと、もっと見たい!」日暮里富士見坂を語り継ぐ、眺望再生プロジェクト / Gone but not forgotten: Project to restore the view at Nippori Fujimizaka.


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2018年1月 日暮里富士見坂ダイヤモンド富士

日暮里富士見坂からのダイヤモンド富士は、1月29日、30日の両日となります。
石川正さんが「カシミール」で作成して下さいました。
また、昨年12月19日、守る会の忘年会の日、
高尾山から撮影したダイヤモンド富士の写真をご提供いただきました。
お楽しみください。

2018年1月29日 16時53分

2018年1月29日 16時53分


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正岡子規はダイヤモンド富士を見たか?!

今年も、秋のダイヤモンド富士の季節が巡ってきた。日暮里富士見坂からの富士山が見えなくなり、ダイヤモンド富士のに大賑わいが消えて早4年。寂しい。
ところで、明治の俳人・正岡子規は日暮里富士見坂から近い根岸に住み、その界隈である日暮里富士見坂の坂上に続く「道灌山」をよく散歩した。富士山を詠んだ句も多い。子規は、ダイヤモンド富士に遭遇することはなかったろうか?俳句を探してみた。(M) 本文は「子規庵友の会だより第14号」への寄稿文に一部加筆した再掲。

― 子規と道灌山と富士山と ―

「我嘗て此所の眺望を日本第一といふ……」随筆「道灌山」(明治32年9月)(注1)の一文である。読む度に、遠出は望むべくもない子規の病身と、その狭い行動範囲の中にも自分の「日本一」を見つけて感動する無邪気な心根に胸が痛くなる。
道灌山は私の生活圏、毎日歩いて通る。JR山手線・西日暮里駅と田端駅にかかる高台で、根岸(鶯谷駅)の子規庵からすぐのところ。ここからの眺めを日本一と子規はいう。「崖に臨みたれば眺望隠す所無く足下に見ゆる筑波山青うして消えなんとす。」上野の山から王子の飛鳥山まで続く小高い尾根道は古く、江戸期は花見や紅葉狩り、虫聞きとにぎわう遊興の道であり、標高が最も高いのが道灌山。広重の浮世絵などでも広く知られる。

歌川広重「東都名所 道灌山虫聞之図」(国立国会図書館デジタルコレクション)

歌川広重「東都名所 道灌山虫聞之図」(国立国会図書館デジタルコレクション)


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3.11から5年、「日暮里富士見坂」のビル津波と正岡子規の「明治三陸地震津波」

「日暮里富士見坂」の上に立つと足がすくむことがある。ビルの群が富士山を遮って坂に押し寄せて来る。ビル津波だ!
3.11東日本大震災から5年。宮城県南部の海岸の町に実家を持つ私には、あの時の恐ろしさ、辛さがよみがえる。津波は、私の大事な大切な子供の頃の原風景をべロリと持ち去って返してくれない。津波はふつーに暮らしていたふつーの多くの人達の命と生活を、根こそぎカッさらっていった。そして原発、人間自らが作った目に見えない毒がダメ押しで迫って来た。この恐怖は今もこれからも、はてしなく現在進行形だ。
それでもあの時、私達はしっかりと感じ、分かったのではなかったか。ささやかな幸せがいかに貴重で大切か、人は尊重し合い助け合って生きよう、真に大事なものを見極めよう。お金儲けや成長戦略なんて、吹けば飛ぶようなちっぽけな価値に過ぎないと。
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