今日も日暮里富士見坂 / Nippori Fujimizaka day by day

「見えないと、もっと見たい!」日暮里富士見坂を語り継ぐ、眺望再生プロジェクト / Gone but not forgotten: Project to restore the view at Nippori Fujimizaka.


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魯迅と日暮里(56)南波登発の「亞細亞」への視線(31)北辺のルンペンプロレタリアートと博徒の群れ Lumpenproletariat in the northern frontier of Japan

さて、当時の北海道における「勞働」の実態を見るため、以下において消防組の構成員の実態を見てみよう。札幌消防組は「北海道勞働組」の結成された1892年、大規模な暴力事件を起こしている。

花月樓-笠原文治邸『札幌繁榮圖録』国会図書館蔵より

花月樓 笠原文治邸『札幌繁榮圖録』国会図書館蔵より

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魯迅と日暮里(55)南波登発の「亞細亞」への視線(30)助川貞二郎と北方の民権運動家たち Democrats in the northern colony of Japan

以下は「亞細亞勞働協會」メンバーの銘々伝の続きである。だが、決してザコキャラ退治のつもりはない。また、本シリーズでは、ほとんど知られることのない人物を取り上げているのだが、助川貞二郎については札幌市教育委員会の文野方佳氏による詳細な伝記が著されており(註1)、同時代資料も多い。そして、明治期の北海道の人物のレファレンス情報については、北海道立図書館北方資料部作成の『北海道人物文献目録(明治~戦前期)』(註2)のお世話になった。最初に掲げてお礼を申し上げます。

助川貞次郎『北海道立志編-第貮巻』国会図書館蔵より

助川貞次郎『北海道立志編 第貮巻』国会図書館蔵より

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魯迅と日暮里(54)南波登発の「亞細亞」への視線(29)須戸橋藤三郎 見沼代用水と内水交通、あわせて上武のキリスト者たち(下) The Outlaws in Northeast Asia, Chapter 22

1952年4月、教員資格を持つ1人の男が本庄駅に降り立った。

「「暴力の町」として、一時有名になったことのある、高崎線本庄駅に私は降りた。やせて背が高く、鳥打帽をかぶっていた。私は駅前から、すぐタクシーに乗った。町を通りぬけて、まがりくねった、がたぴしした道を北の方へ六キロばかり行くと、桑畑やねぎ畑や、ほうれん草畑にかこまれた静かな部落が見えた。桑畑の向うには堤防がひくく東西につづいていた。桑畑も部落も、春の光をあびて、うすむらさきにやわらかくけぶっていた。
そこは島村といった。この村は、群馬県の南のはしで、埼玉県との県境にある、戸数四百余、人口二千四百ばかりの小さな村である。」(註1)

座談会-これからの社会科-(右より梅根悟-海後宗臣-斎藤喜博-岡津守彦)『教育』3巻10号より

座談会 これからの社会科(右より梅根悟 海後宗臣 斎藤喜博 岡津守彦)『教育』3巻10号より

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長谷川利行展スタート 【付・バガボンド長谷川利行もくじ】

2018年3月24日、福島県立美術館で「長谷川利行展 藝術に生き、雑踏に死す」が初日を迎えました。
18年ぶりの大回顧展が全国を巡回します。
今回は40年ぶりに公開の「夏の遊園地」、新出現の大作「水泳場」、「白い背景の人物」(ハルレキンか?)も出品され、見ごたえ十分の内容となっています。

長谷川利行展

長谷川利行展

キャンバス上の絵具の盛り上がりや、ガラス絵の美しさなどなど、ナマで見なければ決して分りません。ぜひ足をお運びください。
図録『長谷川利行展 HASEKAWA Toshiyuki Retrospective 2018』では、私たちのブログ記事もご紹介いただきました。
ここで、ブログの目次をつけておきます。

【展覧会 I 上京―1929 日暮里:震災復興の中を歩く】関係

バガボンド長谷川利行(1)- 前半
子どもの頃、蒸気機関車を見に田端の陸橋によく連れて行ってもらった。
当時も汽車は少なくなっていたが、黒煙を上げて走る汽車は子どものあこがれだった。

バガボンド長谷川利行(1)- 後半
また、『猿飛佐助』『どろんちび丸』等の作品で知られる杉浦茂は、この頃、長谷川利行に従って東京各地をスケッチして歩く。

夏の遊園地(1928年)油彩、カンヴァス 112.0×163.0cm 個人蔵

夏の遊園地(1928年)油彩、カンヴァス 112.0×163.0cm 個人蔵

【展覧会 II 1930-1935 山谷・浅草:街がアトリエになる】関係

バガボンド長谷川利行(2)- 前半
1939年5月、当時の満洲国とモンゴル人民共和国の国境ハルハ廟で戦闘が開始された。死闘は4ヶ月に渡って続いた。ノモンハン戦争である。
戦前、モンゴル首相ゲンデンは、スターリンに呼ばれて訪ソ、1935年モロトフ邸でスターリンと会談した際にけんかになり、ゲンデンはスターリンのほっぺたを平手打ちにし、足蹴にしたうえ、スターリンのパイプを机に叩きつけて壊したという。ゲンデンは翌年首相を解任され、「療養のため」ソ連に向かい、1937年同地で日本のスパイとして処刑される。

バガボンド長谷川利行(2)- 後半
浅草に集まったメンバーは、1932(昭和8)年1月(木村学司の記載による。矢野によれば2月)、自然発生的な団体「超々会」(シュルシュルかい)を結成する。矢野によれば、長谷川、徳田、矢野、山中、川島のほかに、木村学司、小沢不二夫、田中陽、熊谷登久平、野村守夫、中沢天眼、藤沢主計、繁岡巌といった多彩なメンバーである。趣意書は長谷川が書き、各方面に送付されたほか、雑誌にも載ったという。

水泳場(1932年)油彩、カンヴァス 90.9×116.7cm 板橋区立美術館蔵

水泳場(1932年)油彩、カンヴァス 90.9×116.7cm 板橋区立美術館蔵

【展覧会 III 1936- 死 新宿・三河島:美はどん底から生じる】関係

バガボンド長谷川利行(3)の1
熊谷守一という画家がいる。
この長いお話の最初に登場した長谷川利行展の推薦者の一人である。「紙でもキャンバスでも何も描かない白いままがいちばん美しい」と言い切る画家である。父が初代岐阜市長で衆議院議員、画壇の最先頭に立つ二科会の創立メンバーでありながら、長い間貧乏暮らしをした。熊谷は、長谷川利行の作品に「いい、わるい」という物差しを当てることをしない。また、長谷川も熊谷を自身の守護聖人のように考えていたらしい。

バガボンド長谷川利行(3)の2
「Kといふ挿繪畫家が昭和七年の晩秋、瀧の川の汚いアパートの二階にゐた。」
ここでKと呼ばれているのは、画家木原芳樹である。木原自身は、高崎の自身に関する記述を訂正しながら、長谷川利行との出会いについて語る。

バガボンド長谷川利行(3)の3
父長谷川利其は、1938(昭和13)年5月21日に京都市内で死亡している。

バガボンド長谷川利行(3)の4
福沢一郎と滝口修造が逮捕された日、寺田政明は長谷川が死んだことを知る。

白い背景の人物(1937年)油彩、カンヴァス 90.0×115.8cm 個人蔵

白い背景の人物(1937年)油彩、カンヴァス 90.0×115.8cm 個人蔵

あれあれ、なぜか展覧会での時期区分と合致していたのですね。

展覧会準備中の1月26日、福島県立美術館の学芸員堀宜雄さん、府中市美術館の小林真結さんをご案内して日暮里の長谷川利行の旧居跡を回りました。
大雪の後で足元が良くなかったのですが、荒川区西日暮里を中心に4ヶ所をご覧いただきました。ディープな日暮里をご堪能いただけたかと存じます。

また、堀宜雄さんのお尋ねにお答えする中で、長谷川利行の重要なパトロンで画商・天城俊彦(高崎正男)の情報や資料がずいぶん集まってきました。堀さんによる図録解説「伝説のありか―天城俊彦と矢野文夫」に、適切・簡潔にご紹介いただいています。
ハードカバー230頁の大冊(2,300円)は一家に一冊、ぜひぜひ御愛蔵ください。
天城俊彦は、長谷川利行の人生・画業を知る上で重要な人物です。堀さんによる今後の御研究の進展に期待しています。

また初日のイヴェント、小林真結さんによるゲストトークでは利行愛あふれる作品解説も行なわれました。小林さんのご調査のエッセンスは、図録解説「「二科の画家」長谷川利行」に記されています。
利行作品は個人蔵が多く、御愛蔵の品々がこのように多く展覧されることは素晴らしいことです。個人の持物だけれども公共財だとお考えの方が多くいらっしゃるように思いました。長谷川利行が最後まで売らずに手元に置いていた作品群も、最近世の中に出たようです。見本帳のようにスクラップブックに貼り込まれ、東京市養育院入所時に焼却されたと信じられていたものです。

福島県立美術館

福島県立美術館

福島県立美術館、福島県立図書館のペアは、建築家・大高正人氏の傑作です。ぜひ建物もご体験ください。園池の水は春のかいぼし中でしたが、水が張られれば美しい光景になると思いました。レストランも素晴らしいですよ。図書館には、貴重な戦争軍事資料の個人コレクション・佐藤文庫もあります。

【長谷川利行展 会期・会場】

  1. 3月24日(土)~4月22日(日)
    福島県立美術館
  2. 5月19日(土)~7月8日(日)
    府中市美術館
  3. 7月21日(土)~9月9日(日)
    碧南市藤井達吉現代美術館
  4. 9月22日(土)~11月4日(日)
    久留米市美術館
  5. 11月13日(火)~12月24日(月・祝)
    足利市立美術館

帰りしな、福島交通飯坂線の最寄駅・美術館図書館駅から建物越しに見えた吾妻小富士の写真を上げておきます。
もう少し暖かくなると、雪が解けてかわいらしい「雪うさぎ」が見られるそうです。前回は何匹もの雪うさぎが現れたそうです。駅でご一緒した地元の方に教えていただきました。
(雪うさぎ:残雪がうさぎの形に見えること、農業暦のメルクマールとして観測された)

福島交通美術館図書館駅から見た吾妻小富士

福島交通美術館図書館駅から見た吾妻小富士

そして、どうぞ長谷川利行の愛した日暮里、道灌山へもお出かけください。


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正岡子規はダイヤモンド富士を見たか?!

今年も、秋のダイヤモンド富士の季節が巡ってきた。日暮里富士見坂からの富士山が見えなくなり、ダイヤモンド富士のに大賑わいが消えて早4年。寂しい。
ところで、明治の俳人・正岡子規は日暮里富士見坂から近い根岸に住み、その界隈である日暮里富士見坂の坂上に続く「道灌山」をよく散歩した。富士山を詠んだ句も多い。子規は、ダイヤモンド富士に遭遇することはなかったろうか?俳句を探してみた。(M) 本文は「子規庵友の会だより第14号」への寄稿文に一部加筆した再掲。

― 子規と道灌山と富士山と ―

「我嘗て此所の眺望を日本第一といふ……」随筆「道灌山」(明治32年9月)(注1)の一文である。読む度に、遠出は望むべくもない子規の病身と、その狭い行動範囲の中にも自分の「日本一」を見つけて感動する無邪気な心根に胸が痛くなる。
道灌山は私の生活圏、毎日歩いて通る。JR山手線・西日暮里駅と田端駅にかかる高台で、根岸(鶯谷駅)の子規庵からすぐのところ。ここからの眺めを日本一と子規はいう。「崖に臨みたれば眺望隠す所無く足下に見ゆる筑波山青うして消えなんとす。」上野の山から王子の飛鳥山まで続く小高い尾根道は古く、江戸期は花見や紅葉狩り、虫聞きとにぎわう遊興の道であり、標高が最も高いのが道灌山。広重の浮世絵などでも広く知られる。

歌川広重「東都名所 道灌山虫聞之図」(国立国会図書館デジタルコレクション)

歌川広重「東都名所 道灌山虫聞之図」(国立国会図書館デジタルコレクション)


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