今日も日暮里富士見坂 / Nippori Fujimizaka day by day

「見えないと、もっと見たい!」日暮里富士見坂を語り継ぐ、眺望再生プロジェクト / Gone but not forgotten: Project to restore the view at Nippori Fujimizaka.


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魯迅と日暮里(64)南波登発の「亞細亞」への視線(39)宮地茂平、久永廉三と福井茂兵衛の新演劇(中の1) MIYAJI Mohei, HISANAGA Renzo and the Shinpa by FUKUI Mohei troup, part 2

久永廉三は1888年4月には関西に移り、旧に倍して旺盛な執筆活動を行なっている。

【関西時代】

関西での住所は、1888年4月24日に「大和國添上郡奈良高畑町五十八番地」(註1)、26日に「奈良縣添上郡奈良公納堂町廿二番地」(註2)、7月25日「大和國添上郡奈良公納堂町二拾壹番地居【留】」(註3)、1890年6月11日に「京都市下京區魚棚通室町東入上柳町第十番戶」(註4)と変遷する。また、1893年9月6日の住所は「奈良縣大和國添上郡奈良町大字高畑五十八番地」(註5)とあるものの、この時点では東京にいたと見られる。
自序、自跋を見ると「明治戊子【1888年】春於舊平安城僑居南隅之盆梅将綻薫風静入處 久永㢘三識之」(註6)、「明治二十一【1888】年孟春於浪華僑居 學棠 久永廉三識」(註7)、「國會開設ノ前二年戊子【1888】ノ春浪華ノ僑居ニ於テ 久永學棠識之」(註8)、1888年に「丁戌【存在しない干支】中春於北新地僑中 學棠居士識」(註9)、1890年には「京都の客舍に於て 學棠 久永亷三識」(註10)と関西圏にその居所を変転する。一人称の語り作品『大日本帝國之行末』の序でも「今春【1888年】偶マ隙ヲ得テ浪華ニ閑遊スルヲ得タリ」という。(註11)

奈良市公納堂町22付近-Google-Mapによる

奈良市公納堂町22付近-Google-Mapによる

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2019年11月12日、日暮里富士見坂のダイヤモンド富士

この日、空は晴天でダイヤモンド富士を観測することができました。
イスラエルからお友だちもやってきました。
3枚目をよーく見ると、ごみのようなものが写っています。
航空機です。東京上空を飛んでいるのですね。
5枚目は、アンテナの上に鳥がとまっています。
最後に、富士見坂からの「スーパーすきま富士」はおまけです。

20191112ダイヤモンド富士-1

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