さて、当時の北海道における「勞働」の実態を見るため、以下において消防組の構成員の実態を見てみよう。札幌消防組は「北海道勞働組」の結成された1892年、大規模な暴力事件を起こしている。
カテゴリー別アーカイブ: 日暮里富士見坂の富士山はだれが消したのか
2012年イコモス勧告と文京区、荒川区の回答書
日暮里富士見坂から富士山を望むことができなくなって16ヶ月目。
坂上には、いまだ「あっちに見えるはず…」と西を指さす人が絶えない。
いま、富士見坂から富士山への通り道の途上に黒いビルが見える。生和コーポレーションが建設した「福信館」がみえる。
こうして、名前を告げることを非難する人もあると思うが、名前を伏せれば、話し合いの場をもうけると文京区は私たちに約束したが、残念ながら反故にされてしまった。同じように企業も私たちを脅し、そして約束は最後まで果たされなかった。
2011年12月、世界遺産の諮問機関であるICOMOS(国際記念物遺跡会議)は、日暮里富士見坂からの富士山の眺望を歴史的な眺望遺産としてパリ総会で決議した。
翌2012年5月、その保全について荒川区、文京区、新宿区、豊島区、そして東京都、および新大久保に高層ビルの建設を予定していた住友不動産に対して勧告するとともに、保全を可能にするための眺望ライン作成に協力することを申し出た。
イコモス文書である。
イコモスに対する文京区と荒川区の回答書をともに掲げる。
西川太一郎氏にとっての富士見坂からの富士山
~日暮里富士見坂の富士山はだれが消したのか-3 の背景~
この談話は2000年2月26日、自宅でうかがったものです。西川氏は当時、防衛政務次官。荒川区選出の衆議院議員でした。
このころ、文京区本駒込の本郷通りに日本鋼管不動産が建設中のマンションによって富士見坂から望む富士山の左側稜線が遮られる事態になり、結成されたばかりの日暮里富士見坂を守る会は、各方面に協力要請を行いました。
◎環境行政に必要なことは・・・ 西川太一郎氏
日暮里富士見坂から富士山が年間何日見えるのか、私が都議だったころに美濃部都知事に報告していました。ですから、富士見坂にはとても思い入れと関心があります。
日暮里富士見坂の富士山はだれが消したのか – 3
◎荒川区長から住友不動産への要望書 2012.07.26
2011年秋、日暮里富士見坂から6キロ離れた新宿区大久保に高さ160メートルという超高層ビルが計画されていることを知る。
シミュレーションの結果、計画通りビルが建設されれば、富士見坂からの富士山の眺望は、頂上部の稜線だけをわずかに残し、消えることがわかった。
日暮里富士見坂の富士山はだれが消したのか – 2
日暮里富士見坂からの眺望を守ることに関する回答書
2000年は本郷通りに建った日本鋼管不動産のビルで富士見坂からの富士山の左側稜線がなくなった年です。
このとき、住民だけでなく、荒川区議、文京区議、台東区議、そして地元選出の都議が超党派で、日本鋼管不動産、親会社の日本鋼管への階数高を抑える要望を後押ししてくれました。