今日も日暮里富士見坂 / Nippori Fujimizaka day by day

「見えないと、もっと見たい!」日暮里富士見坂を語り継ぐ、眺望再生プロジェクト / Gone but not forgotten: Project to restore the view at Nippori Fujimizaka.


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魯迅と日暮里(40)南波登発の「亞細亞」への視線(15)須戸橋藤三郎 見沼代用水と内水交通、あわせて上武のキリスト者たち(中の2) The Outlaws in Northeast Asia, Chapter 8

関根寅松は硫酸事件の後、刀水を号として、新聞人としての道を歩むことになるのだが、刀水関根寅松の新聞事業について語るのは、埼玉における勃興期の新聞の歴史を語ることに等しい。1920年3月に普通選挙期成入間同盟会を結成した大塚文雄は、香摘岸上克己の記念文集に序を寄せ、「川上荻村【4字傍点】と關根刀水【4字傍点】を生んだ明治中葉時代から二大政黨勃興に追隨して、かなり顯著な發達をつゞけて來た埼玉の「新聞界」」とこの時代を総括する。(註1)ここで、荻村は川上参三郎の号、刀水は関根寅松の号である。また、伊藤痴遊の著書のルビによれば、「川上參三郎」の「參」の字の読みは「しん」である。(註2)

埼玉県における新聞の発祥は、1873年、『埼玉新聞』の創刊に始まる。最初は官製の新聞として歴史をスタートしたが、やがて民間新聞に移行する。

香朝樓國貞『上野一覽内國博覽會之圖』国立国会図書館蔵より合成復元

香朝樓國貞『上野一覽内國博覽會之圖』国立国会図書館蔵より合成復元

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魯迅と日暮里(39)南波登発の「亞細亞」への視線(14)須戸橋藤三郎 見沼代用水と内水交通、あわせて上武のキリスト者たち(中の1) The Outlaws in Northeast Asia, Chapter 7

熊谷米穀取引所の仲買人中、注目すべき人物は、関根寅松である。
彼の名前を有名にしているのは、一時期世間を騒がせた「硫酸事件」への関与者としてである。同事件は、新聞報道によると次のような事件である。
『郵便報知新聞』、『東京日日新聞』、『東京朝日新聞』、『朝野新聞』、『國民新聞』によれば上野駅1891年12月14日08時50分発(註1)、『改進新聞』によれば08時30分発の(註2)高崎駅行日本鉄道線「第二列車中等室」において事件は起きた。(註3)

「滊車日暮里に達せし頃同室尓乘り込み銘仙の着物着けたる四十格好の男知り人三人と烟草の火の遣り取りなどし居たるがあれ煙突がと叫び乘客の上向き尓なりしを見濟まし隱し持ちたる五六寸もあらんかと思はる硫酸瓶を一振打ち振り大久保【巳之作】、橋本【近】、伊古田【豊三郎】三氏の面部に灌き掛け二振り目には恰も乘り合せ居る代言人𪉩【塩の異体字、U+2A269】入太輔と根岸【武香】氏及び高崎行の商人等に振り掛け入口の戸を外より明けて逃げ出したり其の折抦【柄】滊車の速力は最つとも強かりければ暴漢は後へにドツと溷の中へ落ち込たり」。(註4)

被害者は王子駅で下車、現地の伊古田忠前(註5)あるいは伊古田忠道医師(註6)の応急処置を受け、順天堂医院に回送された。

熊谷秩父道開鑿案に決死の覺悟で臨んだ秩父郡選出議員記念の撮影『埼玉県政と政党史』より

熊谷秩父道開鑿案に決死の覺悟で臨んだ秩父郡選出議員記念の撮影『埼玉県政と政党史』より

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魯迅と日暮里(38)南波登発の「亞細亞」への視線(13)須戸橋藤三郎 見沼代用水と内水交通、あわせて上武のキリスト者たち(上) The Outlaws in Northeast Asia, Chapter 6

本章は、関東に入国した徳川家康が、その一族の松平家忠を武蔵の忍から下総の上代(かじろ、小見川)に転封した時の記録から始める。1592年4月1日(天正20年2月19日)、忍城を出て新郷から乗船した松平家忠一行は、翌日(天正20年2月20日)に「矢者き」(矢はき、矢作)に着き、3日(天正20年2月21日)に「かないと」(金江津)を経て4日(天正20年2月22日)に小海川(小見川)に到着している。金江津を「かないと」と書くのは、南北朝期以来の古地名で誤聞ではない。(註1)シベリア鉄道開通前にシベリアを横断した旅人たちが、河川を舟行しながら上流部に到達すると、陸路、分水嶺を越えたように、沼沢地をぬうように小舟を使い、河川の非接続部は陸行して内水面を上り下りしたのであろう。ただし、盛本昌広氏は全経路を舟行したと見る。(註2)ここでは先ず、松平家忠直筆のイラストとともにお楽しみいただきたい。ここで取り上げたのは2枚。描かれているのは、お引越しの思い出の船と、日本最初の将棋の棋譜。ただし現代の棋士がこの棋譜を見ると、対戦者は双方とも下手っぴいみたいなのである。

『家忠日記-第六』国立国会図書館蔵より

『家忠日記-第六』国立国会図書館蔵より

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Three positive announcements about Nippori Fujimizaka including a viewpoint marker

Today there were three good pieces of news concerning the view of Mt. Fuji from Nippori Fujimizaka.

The first is that Arakawa Ward’s Road Maintenance Section kindly put in place a viewpoint marker in the shape of two feet that indicates the spot on Nippori Fujimizaka from which it is possible to catch a glimpse of Mt. Fuji. The idea for this first came about on “Mt. Fuji Day” which was held on February 23 this year. At that time, many people from within Japan and abroad came to catch an especially good view of the mountain. In anticipation of this, we put up a similar, temporary foot-marker. This was so successful that we petitioned Arakawa Ward to set up a permanent marker of the same kind. Unfortunately, it’s not possible to see Mt. Fuji from the spot during summer. The best time to catch a view of the mountain is during fall and winter. In any case, we’d like to extend a big thanks to Arakawa Ward for placing the viewpoint marker here. For all those who love Nippori Fujimizaka, this was a great gift.
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