今日も日暮里富士見坂 / Nippori Fujimizaka day by day

「見えないと、もっと見たい!」日暮里富士見坂を語り継ぐ、眺望再生プロジェクト / Gone but not forgotten: Project to restore the view at Nippori Fujimizaka.


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2019年4月11日、日暮里富士見坂のすきま富士

2019年の春は、思いのほかの暑さ寒さを繰り返していますが、
時として富士山を見るにはよいこともありそうです。
気温が下がって、雲の無い日には、こんな情景もあるものですね。

20190411すきま富士

20190411すきま富士


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2019年4月9日日暮里富士見坂のすきま富士

2019年4月9日、春らんまんの東京から富士山が見えました。
日暮里富士見坂そばからのすきま富士について、会員のひそひそ話を、一部お知らせします。

すき間富士です。レンズが汚くてすみません。(写真のごみは、いくらか修正しました。)

○すきま富士、しかと拝見しました。いずれそのすきまに手を差し入れてグッと広げたいものですね。一筆御礼まで。すきまの存在意義あり。

□すきま富士の写真ありがとうございます。今日は、三郷のベランダからも6、7合目辺りから雪煙上がる富士山ばっちり見えてます。

△今日は富士山が見えたよって話題で盛り上がるって、今の東京では貴重だし楽しく幸せな事ですよね。それにつけても、三郷の自宅マンションのベランダから富士山三昧!どうか富士山の霊験を一杯頂いて下さい。

2019年4月9日スーパーすきま富士

2019年4月9日スーパーすきま富士


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魯迅と日暮里(62)南波登発の「亞細亞」への視線(37)栗村寛亮の死まで KURIMURA Kwansuke: The latter half of life

さて、時代はさかのぼる。『福島毎日新聞』が新体制になった1880年5月24日、栗村寛亮は福島毎日新聞社を無断退社し、行方不明になったことが同紙広告に載る。

「當社雇人栗村寛亮儀無斷退社行衛不相知候處當人之居所御案內の御方も有之候ハヾ郵税先拂を以て當社迄御報知被下度相當之謝禮可致候
  五月廿二日        福島新聞社」(註1)

同内容の広告は26日まで3日間にわたって掲載された。ただ25、26日の両日は「栗村寛亮」の文字が例の「深瀬」の如く大活字で植字されており、皮肉な印象を与えるとともに、経過した時間の長さを感じさせる。さらに、この尋ね人の広告は東京の『讀賣新聞』にも掲載された。(註2)『福島毎日新聞』の編集陣の改編と栗村寛亮の「失踪」には何らかの関係があるだろう。同じ民権派とはいえ、栗村寛亮は以降、自由党からは距離を置いたようにみえる。そのことと何か関係があるのかもしれない。

『福島毎日新聞』1880年5月26日

『福島毎日新聞』1880年5月26日


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2018年12月19日、日暮里富士見坂のすきま富士

昨日、NHKの番組のディレクタさんと日暮里富士見坂へ。
午後、雲が出て来て、あ~駄目だなと思いながら待ち合わせ場所に向かいました。
そうしたら、魔法のように陽光が。
とっても美しいすきま富士とスーパーすきま富士が見えたのですが、
カメラのバッテリがダウン。
それでも肉眼で富士山が見えました。

残念なので、今朝、バッテリ・チャージしたカメラを持って現地へ。

くっきりと富士山が浮かび上がっていました。

2018年12月19日すきま富士

2018年12月19日すきま富士

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